一茶×銑十郎
愛という物は いつの日も 儚く脆く確信性も無ければ安定性も無く、そして信憑性すらも薄い物で。背後にはいつも「裏切り」がその形を潜めていた。愛と憎しみは神一重、と。
斯くても 人は何度も身を焦がす。身を滅ぼしても幾度と無く人は愛に縋る。
──これは 経験上の話だ。
俺が愛した者は、俺から離れていった。それは恐れだったり、無関心さであったり。拒絶であったり 殺意でもあった。欲しい物こそ手に入らず、愛した人にこそ裏切られる。それ成ればこそ 愛など真に信じるべき物では無い事を、俺はこの身を以って知ったのだ。
然し、然しながら。嗚呼人はうつけであると熟思うのだ。それでも何度でも 愛して見たいと思う。あの苦味が、狂おしさが、斯くも愛しいとおもう。
「愛している」
俺もまたうつけなのだろう。あんなにも愛で苦んだのにそれでも 「欲しい」と思うのだから。
目前の──、血のような紅。
「お前を愛している」
北見銑十郎。
ー想ひは白にうつろはずー
「──はは」
床に彼の身体を組み敷き、その上に跨った。月明かりが銑十郎の口元を照らし、静寂にはその彼の僅かな笑声だけが響いた。上にのしかかられていると言うに
彼の態度は嫌に余裕であるのだ。
「可笑しいか。俺は。」
目を細め いつもと変わらない微笑で笑う一茶に、銑十郎は調子を崩さぬままに「ああ、」と返事とも取れぬ緩い声を漏らす。蝋燭の火が消えた居室内は頼りない月の灯りのみが薄く二人を照らしており 少し開いた襖の隙間からは隙間風すら流れない。二人が言葉を発さない限りは、室内は重い静寂に支配される。
「愛してる、かァ」
嫌なほどに静かで、暗い夜だった。
「……俺は、お前のモンにはならないけど」
一茶の言葉に対して、銑十郎の返しは いつもこの様な物だった。顔色ひとつ、表情ひとつも変えず、声色すらもそのままで最も容易く銑十郎はさらりと一茶を否定する。これはお決まりだ。だからこそ一茶も 同様の流れに笑みすら溢れる。呆れにも似て、苛立ちにも似た何か。それが溜息と共に言葉となる。
「……殺意が湧く」
低く、吐息に混じった言葉。
「 殺してしまいたくなる 」
次はもっとはっきりとした声色で。
「……なぁ 一茶。今迄 お前はそうして欲を満たして来たんだろ」
一茶の言葉を聞いて、銑十郎は嫌な笑みを浮かべてそう言う。一茶は口元だけ笑みを作り、然しながら確かに憎らしさを向ける瞳の色で銑十郎を見下し、彼の言葉に首を傾げた。
「自分のモンにならない人間を 殺して、殺して、…そう全員殺して、さ。俺とおんなじだ。果ては自分の思い通りにならない人間が憎い。屹度お前は今、心底この俺が憎たらしいだろうよ…、なァ?」
黒髪から、眩い紅が一茶を捉える。自分の内心を見抜きそして彼は一茶を嗤う。強い黒にそして紅。彼の色は決して何色にも染まらないのだ。一茶ですらも、それは覆せない色で、汚したくても濁らせたくても 指先すらも入り込めない。彼を求めれば求める程 憎らしさは強まるのに、それに比例する様に愛しさは大きくなる。如何して、嗚呼 愛してみたいと思うのだ。
彼を自分に溺れさせてみたいと思うのだ。依存させ執着させ 、そして「今度は間違えない様」唯 愛したいのだ
「誰かを愛するなんて事はさぁ」
銑十郎が一茶の腰を掴み力を込めると、そのまま容易くぐるりと体制が逆転される。一茶の視界に薄暗い天井と、自分に覆いかぶさる銑十郎がうつる。人らしからぬ 何処か光のない暗い赤瞳を細めて、銑十郎は一茶の胸元をぽんと平手で軽く叩く。
「お前にも俺にも、無理なんだって」
そう、低く囁いて。
彼の言葉には何時も情など無く、空虚だ。然し、紛れもなく事実に変わりはない事、それも知っている。俺は確信が欲しいだけなのか。
曾て苦しんだ あの人へ向けた感情こそが俺が望んだ「愛」なのだとしたら 俺はきっと 二度と誰かを愛したい等 腑抜けた事は思わぬ筈なのに。然し乍ら 幾度も幾度も 今日越えて、愚かに愛しいと思う感情に手を伸ばすのは
それは確かに俺が、人間であったからか。
「愛」を殺した俺に 二度と愛は還らぬ事、それを解らぬ程俺はうつけではない。嗚呼 でも、今一度あの苦しさに身を焼きたいと思うのは、やはり俺もあの日と変われぬ ──うつけ者、だからなのだろうか
「………嘆かわしい」
一茶の笑みを含んだ声を最後に、月は雲に隠れそして、居室内は完全なる暗闇へ、静寂と共に、二人は飲まれていった。
終