荒々しく、或いは無容赦に。酷く醜悪的に体を弄ばれる。
夜助は、困惑していた。"この男"に確実に勝る事は難儀と知れども、多少の抵抗ばかりはできると思っていたのに、このザマと。一敗塗地がなんとやら、最早笑いすら出ないとはこの事か。無理やりと割り開かれた身体は突き上げられ、罵倒を浴びせても左右に受け流され、果ては抵抗を見せれば暴力によって言葉を奪われて───、幾ら屈強と言えども、此処迄抵抗が無意味で、手酷く嬲られれば流石に思考が白んできた。それは先程眼前の男に床に頭を叩き付けられた事が原因かもしれないが、与えられた暴力の数が過ぎて、何が原因で何で体が動かないのか、最早区別のしようも無い。時折耳鳴りもすれば身体の自由も満足に効かずに、ここまでの不足を許すなんて。
噛み締めていた唇も最早力が抜け、まるで漏れる嬌声を抑えようともしない。突き上げられる度、自然と声が吐き出てしまう。その上それは、自身を甚振る眼前の男に散々嬲られた身体の苦痛からの呻き等では到底なく、身体に煩わしい程に感じる────、確かで醜悪な「快楽」によって。
こんなもの知らない、知りたくない、嫌だと身を捩った。"彼"を夜助は否定した。すっかりいつもの力を無くした腕でも、目前の男を遠ざけようと胸を押し上げた。それも呆れる程無力で、抱き竦められる様に覆い被されて仕舞えば、深く、深くまで"それ"が内部を押し上げて、中で熱を弾く感覚を植え付けられて、堪らず身体を硬直させ痙攣をする。眼前でチカチカと火花が散るこの感覚は、今日幾度目かと───数えるのすら、厭になってしまって。
「ッ、───う"、…ぁ、!…ッ、ふぅ…っハァッ…ッ!」
貪る様な律動が止みズルリと糸を引く昂りが抜き取られる。慣れぬ感覚に、夜助は思わずぶるりと身震いをして、浅い呼吸を繰り返した。休みなく好き放題されたせいか、酷く暑い。それだけになく汗のせいで濡れた髪が頬や額に張り付く感覚も不快で煩わしくて。
眼前の男に睨みをきかせる。威嚇をする様に、強情に、況してや絶望等二度と見せてなるものかと、低く夜助は息吐いた。何故か──、それが世界で一番憎い相手で、自分が決して許してはならない相手なのだから、尚更。
「殺して、…やる……ッ」
途切れ途切れの怨嗟を紡ぐ。
───田心影丸。眼前にいる彼は、嘗ては、自分が兄と呼べていた筈の男。
ふ、とした浅い吐息と共に影丸の目が細められる。まるでそれは、尚も正気を失っていない夜助の様を、愛しむ様で楽しむ様な、生暖かで絡みつく様な視線のそれだ。嫌に甘やかな手つきは夜助の頬を撫でようと伸ばされたが、夜助はそれを察し断固と顔を背けた。嫌悪感を露わにして、触るなと言わぬばかりに、確固たる否定を見せた。
「……おや、まだ厭か」
低く冷たい声色。抑揚がなく、生気のない不気味な声。
斯様な凶行に及んで、斯様な暴力を与えて、斯様にも自分本位に弄んだ上で、まだこの男は自分を受け入れて貰えるとでも思っているのか。理不尽で劣悪な欲望をぶつけておきながら、さも当然の如く。
「吐き気が、しやがる」
睨みつけ、怒りを込めた声で吐き捨てる。今出来る限りの精一杯の"否定"のつもりだ。最早この体は使い物にならないから。
「此処までされて未だ解せぬか。俺はお前を好いているのに?……夜助?」
──五月蝿い、五月蝿い。
"あの日"も言われ、耳を塞ぎたくなった言葉。苦虫を噛み潰したように、眉を顰め、不快を露わにする。
あれだけの裏切りを与えておきながら、至極自然の如く尚もそう言い放ち、自分に触れる影丸の手つきは今迄の暴力が嘘の様に嫌に嫌に甘いから。だからこそ吐き気を催す程に悪質で、忌まわしい。
その言葉とて今日一晩で何度聞かされた事かと、殆うんざりする。それ以上に何とも腹ただしい。最早人間でも、忍でさえもないお前の様な化物が───易々と人としての好意を口にするなと、怒りが込み上げてくるのだ。
「…好きと、愛してると吐きながら、……その相手を殴り倒して自分勝手に食い散らかして……、ヘェ、上等だな。それがテメェの、愛とやらかよ」
蔑む様な物言いで、皮肉を込めてその好意に返答をする。無論それは影丸への肯定と呼べる物では到底ないけれど。
「笑わせんなよ、気狂いが。お前のソレは、愛なんてモンじゃ無い」
夜助が放った言葉を聞き、影丸の目が静かに細められる。それは夜助の言葉に不愉快を顕にした──…と言う訳では、恐らく無いのだろう。薄く口角が上がる、そんな彼の顔を見れば全くこの言葉が響いていない事など嫌でも察しざるを得ないのだから。屈強な精神…と言うよりは、言葉が通じていない風にも感じる様子はまるで、本当に人の理解さえ及ばぬ化物の様だ。
「では、聞こうか」
落ち着いた声色で、一息置いて返事が返って来る。すうと影丸の手が夜助の腰から腹へと滑り、かと思えば夜助の腹に僅か爪を立て、軽く引っ掻く様に下へと手を引く。表情一つ変えず、その金色の瞳をこちらに向けたまま、かくりと首を傾げる。
「俺のこの衝動が愛とは違う物なのなら。──果たして。"これ"は何だと言うのだ」
無表情で此方を見つめ、何処か重圧な雰囲気を纏う物言いで彼は尋ねる。肌に爪を立てられ、ちくりとした痛みを腹に感じるも、然りとてそんな物、体の節々に感じる多くの痛みと比べれば、気にする程の物でもなかったが。
これが愛では無いなら何か。
その正体はとうに、夜助の中では察しがついていた。
「飢え、だよ」
涼しい顔。目元ひとつ動かさなかった彼の表情が刹那、ぴくりと曇った。
「……お前のそれは、唯の飢餓だ。或いは理不尽に抑制して、自分が満たされたいだけの…自分本位の支配欲だ。そんな意地汚いモンを、愛と騙るな。押し付けるな。反吐が出る」
力の出ない腕を支えに、やっと、徐に身体を起こしては吐き捨てた。そう、こんな物───愛じゃ無い。こんな暴力。こんな仕打ち。こんな苦痛と、狂気ばかりを孕んだ物。愛なんて呼べる訳が無い。
「お前は俺を愛してなんざいない」
くく、と喉元で笑う声がする。……ああこれも、響いてない。何を話してもまるで無駄とさえ思える。彼と夜助とじゃ、まるで、考えが違い過ぎて。
「……否よ、愛とは時に、意地汚く苛烈で───支配的で。左様とも、唯澄んだものでは無いんだよ。お前は満足にそれを知らぬ故……ご覧、夜助。俺はお前の身体に、こうして刻んで教えたじゃないか」
饒舌に、彼は言葉を紡ぐ。耳元に口を寄せて、蛇が鳴らす喉音の様に響く囁き声で、ゆっくりと。思わずその雑音に拳を振りかけたが、それすら軽々しく受け止められる。今の自分は彼にとって、羽が折れた鳥も同然なのだろう。
あとは、絞め殺すも容易とばかりの無力な鳥だ。
「お前は知らないだけだよ、夜助。ただ、知らないから───こんなにも醜悪的に歪められた物が、自分への愛だと……認めたく無いだけだろう?」
夜助の目に映る影丸の顔は、笑っていた。まるで全てを見透かしている様に夜助の事を見下ろし、氷の様だったその表情を溶かし、さも、愛しさを向けるように眉を下げている。
「うる、さい」
喉奥から、声が絞り出される。苦し紛れとばかりに、吐ける悪態の質も斯くも落ちる。それは彼の言葉に否定したくも、何処か得心が言ってしまう、そんな憎たらしさを感じているからこそ、尚更だ。
愛じゃ無い。こんなの愛じゃ無い。
「解っている癖に。今までの誰よりも、お前を好いている……それは俺だけと言う事実を、お前とて。苛烈で意地汚く、支配的。斯様な物なのに嫌でもお前には解るのだろう?
確かに自分は『愛されてる』と」
「───違、う!!」
叫んだのと同時か、胸ぐらを捕まれ、ガツンと床に叩きつけられる様に寝かされる。両頬を包まれ強引に顔を覗き込まれれば、あまりにも眩い"金"に、自身の表情が映る。
困惑が滲んでいる。確かにその表情は、彼の言葉に焦りを見せている。口惜しく、嘆かわしい。唇を噛み締め、唯己に叱責をするばかり。確固として否定をすれば良いのに、何故自分はそんな顔をしているのか。
よもや認めようとでも言うのか。
こんなに苦しく、こんなにも憎い。こんなにも悩ましく、煩わしいのに───あろう事か、斯いう様に正に其の儘。
【自分は、コイツに狂気的な程に愛されている】
そう、感じてしまう自分がいると言う事を事実として。
「好いているよ、夜助」
ああ、やめろ。
気色が悪い。頭が痛い。考えたく無い。仇敵を前に、隙を見せるな。否定しろ。受け入れるな。コイツのコレは、愛じゃない。
「お前だけで良い。お前が良い」
こんなもの、真実ではない。見誤るな。思考を放棄するな。
「共に堕ちてくれるのだろう?深く、深く───誰の手も届かぬ、地底まで、共に」
そんなもの、俺に押し付けるな。汚い、汚い、汚い───。
「果ては地獄まで、───お前とならば、俺は」
───ぶつり、ぶつりと。
何かが糸のように切れていく。何かを体に打ち込まれたのだと夜助が理解するまでは、時間は掛からなかったけれど。
斯くして又汚されるのか。侮辱を身に刻まれるのか。果ての見えぬ暗闇へ、地底へ、引き摺り込まれるように視界が暗転して、思考も理性も滅茶苦茶に掻き乱され、使い物にならなくされて。そしてこれを「愛」などと騙る彼はまた自分本位に"弟"を愛でるのだろう。
何故こんな奴なんかに、隙を見せた。何故こんな奴を、兄として認めた。今更後悔した所で何も過去は変わりはしないこと、そんな物は馬鹿とて解るだろう。然りとて熟と嫌になる。こんな男に一瞬でも気を許したあの日の自分が憎らしく、思い返さずにはいられない。自嘲と自責など所詮自己満足、故に巻き返しが可能なら、次こそは、屹度。
「愛しているよ、夜助」
煩わしい。暗闇で響くその声に、白む思考の中で、確固として返答をする。
「───地獄に堕ちろ、影丸」
終