烏郷忍流派

【烏郷忍流とは、戦国時代より暗躍した謎深き忍軍である】
【烏郷忍流とは、戦国時代より暗躍した謎深き忍軍である】


本編20年前より突如消息を断つ。
元田心忍流派上忍、現鬼灯の殺し屋である夜助が、かつて所属していた忍流派であり、事実上夜助の本来の故郷の忍里。
故に夜助本来の実名は烏郷夜助(うごうやすけ)となる。

忍頭目は夜助の実父である烏郷鵺(うごう ぬえ)であり、実兄には烏郷夜鷹(うごう よたか)がいる。
戦乱の世であった戦国の時代より暗躍してきた実力ある忍集団で、時と共に数は減り規模こそは小さくなったものの、その実力は時が経っても健在であり、幕府の下に影として仕えているそう。

一度主君と認めた物には献身かつ忠実を示し仕える。その逆として、敵と見做した者への執念は強い。組織仲間意識が高く集団で行動する事も特徴。
賢く、素早く、飛躍力に長けている事が烏郷の特性で、空中と言えど物ともせず、鉤縄を一切使わず身一つで鳥の様に身軽かつ自由に空中移動する事を可能とする。又その特性の為か、流派全体総じて身軽であり、一般的な平均体重と比べ男女問わず体重が軽量だと言う。
視力が異常に良く、それも烏郷の中心となっている夜助の家系は特に優れており、光一つない暗闇ですら視力が効くという。その為夜闇こそ烏郷にとっては有利であり、正に夜を支配し闇を暗躍する流派と言えよう。

忍装束は全体黒基調であり、任務時は鳥の嘴を模った仮面(現代で言うペストマスク)の様な物を着用しており、全体的に"黒鳥"を象徴した印象となっている。
また、鵺、夜鷹、夜助の三名は各々別種類の忍鳥(にんちょう)を使役している。


【烏郷兄弟について】

烏郷鵺の実息、長兄に烏郷夜鷹、次兄に烏郷夜助。
夜鷹は流派一の疾さを誇り、その閃光の様な素早さは現在田心随一を誇る夜助にすら「夜鷹には追いついた事がなかった」と言わしめる程である。
夜助は流派一賢く、当時齢10歳という若年齢でありながら大人達を凌駕する程に聡明で、又、流派内でも本物の天才とまで呼ばれていた。後に、頭目であり父である鵺より「烏郷の次期頭目候補」として夜助の名が挙げられる事となるが、努力を重ねてきた兄の夜鷹の背を近くで見てきた為か、そんな彼を差し置き弟の自分が頭目となる未来を与えられた事に夜助自身は当時後ろめたさと同時に不服にも思っており、その感情を夜鷹に悟られたことで、一時的に兄の夜鷹との関係に溝が生まれる。

夜助は当時、夜鷹が頭目を継ぐ未来を期待していた事もあり、同時に自身の実力にはあまり興味がなく、そんな自分に対し与えられた結果が不相応だと感じ訴えた態度に過ぎないが、夜鷹もまた、自身を超える実力を秘めているであろう弟の夜助の実力を見抜いており、期待をし、彼の未来を素直に応援していた事実がある。
その為喧嘩の原因は、双方、互いの未来を想いあっての事でもあり、意地をぶつけてしまった些細なすれ違いであり、関係修復の余地は充分にあったと言える。"お互いまだ子供だった"そう言うに過ぎない事と夜助も夜鷹も理解をしていたが、然しそれも、ある突然の出来事がきっかけとなり、その想いを互いに伝え合える機会は、二人には永遠に来なかった。


【烏郷の現在】

ある夜の任務中、夜鷹と夜助含めた烏郷の忍部隊が何者かによって闇討ちに合う。夜助はその戦闘により重症を負い、数日生死の境を彷徨った。漸く目が覚めた時には、夜鷹も烏郷も無く、その命は田心忍流派によって拾われていた。
負傷により当時の記憶を無くしていた夜助は最初こそ困惑したが、後に田心の頭目、宗角斎により「自分は戦で瀕死の重症を負い、最早手の施しようがないと判断した烏郷の忍に見限られた」との事実を明かされる。
忍という身の上、手遅れの同胞をやむなく振り捨てて行く事は何処でも珍しい話ではなく、"間引き行動"としてそれを強く理解していた夜助もこの結果には納得をせざるを得なかった。
何より、自身の存在が烏郷で"死ぬ"事により、兄の夜鷹が自然と烏郷頭目の座を継ぐことになると当時の夜助は考えており、それこそ正しい烏郷の未来の結果であるのだろうと決め込んだ彼は、身体が回復した後も、敢えて烏郷を探す道を選ばなかった。

以来、事実として烏郷は消息を断ち、夜助は宗角斎に望まれ「田心忍流派」の忍「田心夜助」として生きる道を選ぶ。
「烏郷夜助」は、あの日闇討ちに遭い死んだのだと、完全に過去を切り離し、遠き日の自分と最後理解し合えなかった実兄の影に目を伏せて。

そしてその15年後、壮絶な宿命に自身が飲まれる事になることを、まだ───知らずに。